トルコのアナトリア中央部に位置する見渡す限りに広がる奇妙な形の岩が印象的な「カッパドキア」。カッパドキアは、トルコ屈指の観光スポットとして絶大な人気を集めていま…
トルコの世界遺産は21カ所!絶対に見ておきたい有名な世界遺産を厳選して紹介
トルコは、豊かな歴史と多様な文化が融合した魅力的な国です。その証として、ユネスコ世界遺産に登録された遺産が21カ所も存在します。これらの遺産は、古代文明の遺跡から自然の造形美まで、幅広い分野にわたっています。イスタンブールの歴史地区、カッパドキアの奇岩群、パムッカレの石灰棚など、世界的に有名な観光地も多く含まれています。本記事では、トルコの世界遺産の中から特に注目すべき遺産を厳選し、その歴史的背景や文化的重要性、そして訪れる価値について詳しく紹介します。トルコの魅力を深く理解し、次の旅行計画の参考にしていただければ幸いです。
2024年07月31日更新
トルコの世界遺産は全部で21カ所登録されている!
トルコには現在、21件の世界遺産が登録されています。その内訳は文化遺産が19件、複合遺産が2件となっています。最古の登録は1985年のイスタンブール歴史地域、ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡、ディヴリーイの大モスクと病院で、最新の登録は2023年の中世アナトリアの木造多柱式モスク群です。これらの遺産は、古代ヒッタイト文明からローマ、ビザンティン、オスマン帝国に至るまで、トルコの豊かな歴史と文化の多様性を反映しています。ヨーロッパとアジアの架け橋としての地理的位置を反映し、トルコの世界遺産は文化の交差点としての重要性を示しています。トルコの世界遺産一覧表
世界遺産登録名 | 登録年 | 種別 |
---|---|---|
チャタルホユックの新石器時代遺跡 | 2012年 | 文化遺産 |
イスタンブール歴史地域 | 1985年 | 文化遺産 |
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群 | 1985年 | 複合遺産 |
ディヴリーイの大モスクと病院 | 1985年 | 文化遺産 |
ハットゥシャ:ヒッタイトの首都 | 1986年 | 文化遺産 |
ネムルット・ダー | 1987年 | 文化遺産 |
クサントス-レトーン | 1988年 | 文化遺産 |
ヒエラポリス-パムッカレ | 1988年 | 複合遺産 |
サフランボル市街 | 1994年 | 文化遺産 |
トロイの古代遺跡 | 1998年 | 文化遺産 |
セリミエ・モスクと複合施設群 | 2011年 | 文化遺産 |
ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地 | 2014年 | 文化遺産 |
ペルガモンとその重層的な文化的景観 | 2014年 | 文化遺産 |
ディヤルバクル城塞とエヴセル庭園の文化的景観 | 2015年 | 文化遺産 |
エフェソス | 2015年 | 文化遺産 |
アニの古代遺跡 | 2016年 | 文化遺産 |
アフロディシアス | 2017年 | 文化遺産 |
ギョベクリ・テペ | 2018年 | 文化遺産 |
アルスランテペの遺丘 | 2021年 | 文化遺産 |
ゴルディオン | 2023年 | 文化遺産 |
中世アナトリアの木造多柱式モスク群 | 2023年 | 文化遺産 |
トルコでおすすめの世界遺産15選
奇跡のような自然美が広がる「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」
ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群は、トルコの中央アナトリア地方に位置する世界遺産で、その広大な面積は東京都がすっぽり入る2500万平方キロメートルに及びます。この地域の独特な景観は、数億年前の火山噴火による凝灰岩と溶岩の堆積が長い年月をかけて浸食されて形成されました。その結果、「妖精の煙突」と呼ばれる高さ20メートルにも及ぶキノコ型や塔型の奇岩群が立ち並び、幻想的な風景を創り出しています。さらに、7〜13世紀にかけて、迫害を逃れたキリスト教徒たちが岩窟に聖堂や修道院を造り、華麗な聖像画で飾られた内部と対照的な簡素な外観を持つ洞窟教会群が点在しています。この自然と人工の調和が織りなす独特の景観は、1985年にユネスコ世界遺産に登録され、世界中から多くの観光客を魅了し続けています。古代の栄光を今に伝える「エフェソス遺跡」
エフェソス遺跡は、トルコ西部に位置する古代ローマ時代の都市遺跡で、2015年にユネスコ世界遺産に登録されました。かつて22万5,000人以上の住民を擁した繁栄した都市の面影を今に伝え、その保存状態の良さから世界中の観光客を魅了しています。遺跡の見どころには、2万5,000人を収容できた大劇場、優れた音響効果を持つ円形劇場、そして西暦2世紀に建てられたケルススの図書館があります。図書館は二重壁構造により、貴重なパピルスの巻物を湿気から守っていました。エフェソスは商業と宗教の中心地として栄え、その豊かさと重要性は遺跡の規模と美しさに反映されています。観光の際は、オフシーズン(11月〜3月)の訪問や早朝の観光がおすすめで、適切な服装と現地ルールの確認が必要です。自然の驚異が織り成す景観「パムッカレ」
パムッカレは、トルコ西部に位置する世界的にも珍しい自然景観で、1988年にヒエラポリス遺跡と共に世界複合遺産に登録されました。「綿の城」を意味するパムッカレは、石灰成分を含む温泉水が長年にわたって堆積してできた真っ白な石灰棚が特徴です。全長4km、高さ200mに及ぶ石灰棚は、晴天時には青空を反射して青く、夕暮れ時には茜色に染まる幻想的な光景を作り出します。かつては温泉保養地として栄えましたが、現在は環境保護のため入浴は制限されています。しかし、一部の石灰棚は裸足で歩くことができ、独特の体験を楽しむことができます。パムッカレは、自然が生み出した驚異的な景観と古代ローマの遺跡が融合した、トルコを代表する観光地の一つとなっています。歴史と文化の交差点「イスタンブール歴史地域」
イスタンブール歴史地域は、東西文明の交差点として、独特の文化的風土を創生してきた悠久の歴史都市です。ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアにまたがるこの地は、陸路でアジアとヨーロッパをつなぎ、海路で地中海と黒海を結ぶ戦略的位置にあります。この地政学的優位性により、イスタンブールは古代から様々な文明が交錯し、ビザンツ帝国やオスマン帝国時代には現在も残る優れた建築物が多く築かれました。アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿などの歴史的建造物は、異なる時代と文化の重層性を示す貴重な遺産として、1985年にユネスコ世界文化遺産に登録されています。神話と伝説の古代都市「トロイの古代遺跡」
トロイの古代遺跡は、ギリシャ神話に登場する伝説の都市の実在を証明した考古学的発見として知られています。1870年にドイツの実業家ハインリッヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡は、紀元前3000年から紀元前350~400年頃まで、9層にわたる都市の遺構が積み重なっていることが明らかになりました。ホメロスの叙事詩『イリアス』に描かれたトロイ戦争の舞台とされるこの遺跡は、考古学的証拠と神話の境界線上にあり、今なお謎に包まれています。遺跡の入口には、伝説の「トロイの木馬」を模した巨大なレプリカが設置され、観光客を魅了しています。1998年にユネスコ世界遺産に登録されたトロイの古代遺跡は、神話と歴史が交錯する魅力的な観光地となっています。歴史と伝統が息づく「サフランボル」
サフランボルは、トルコ北部に位置する歴史的な町で、1994年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。町の名前は貴重な香辛料サフランに由来し、かつては重要な交易拠点として栄えました。オスマン帝国時代の伝統的な建築様式を保持する約1,000軒の木造家屋が残り、その美しい町並みは「生きた博物館」とも呼ばれています。サフランボルの歴史は11世紀にまで遡り、モスク、市場、通りなどの歴史的建造物が当時の生活様式を今に伝えています。この町は、オスマン帝国時代の都市文化とライフスタイルを体験できる貴重な観光地として、多くの訪問者を魅了し続けています。ヒッタイト帝国の栄光を今に伝える「ハットゥシャ」
ハットゥシャは、紀元前17世紀から13世紀にかけて栄えたヒッタイト帝国の首都として知られる古代都市遺跡です。トルコ中央部に位置するこの遺跡は、1986年にユネスコ世界遺産に登録されました。ヒッタイト人は、鉄器の使用や軽戦車の発明により勢力を拡大し、エジプトやバビロニアと並ぶ古代オリエントの強国となりました。遺跡には、6kmに及ぶ城壁、大神殿、獅子門、スフィンクス門など、かつての帝国の栄華を物語る遺構が残されています。特に、楔形文字で記された多数の粘土板は、ヒッタイトの歴史や外交関係を解明する上で貴重な資料となっています。ハットゥシャは、古代アナトリアの文明の重要性を今に伝える貴重な考古学的遺産として、多くの研究者や観光客を魅了し続けています。古代の知恵が詰まった「ペルガモンとその重層的な文化的景観」
ペルガモンは、トルコ西部に位置する古代都市遺跡で、2014年にユネスコ世界遺産に登録されました。紀元前3世紀から2世紀にかけて、ヘレニズム文化の中心地として栄えたこの都市は、その後ローマ帝国の支配下に入り、さらに発展を遂げました。ペルガモンの最大の特徴は、急斜面を利用した劇的な都市設計にあります。アクロポリスには、かつて20万巻もの蔵書を誇った図書館跡や、急斜面に建設された劇場など、当時の建築技術の高さを示す遺構が残されています。特に、アスクレピオン(医療施設)は古代の医学の中心地として知られ、ここで発展した治療法は現代医学にも影響を与えています。
この遺跡は、古代ギリシャからローマ、ビザンティン、オスマン帝国に至るまでの文化の重層性を示す貴重な遺産であり、古代の知恵と文明の交流を今に伝える重要な考古学的証拠となっています。
オスマン帝国の起源を探る「ブルサとジュマルクズック」
ブルサとジュマルクズックは、オスマン帝国の起源を探る上で重要な歴史的価値を持つ都市です。2014年にユネスコ世界遺産に登録されたこれらの地域は、オスマン帝国の初期の首都として栄えました。ブルサは、1326年にオスマン帝国の最初の首都となり、約150年間その地位を保ちました。都市には、オスマン建築の初期の傑作である「緑のモスク」や「緑の霊廟」が残されています。これらの建造物は、ペルシャの影響を受けたオスマン様式の発展を示す貴重な例です。また、ブルサには多くのハンと呼ばれる隊商宿が残っており、当時の商業の繁栄を物語っています。
一方、ジュマルクズックは、ブルサ近郊に位置する小さな村で、オスマン帝国初期の農村の姿をよく保存しています。伝統的な木造家屋や石畳の通りが当時の雰囲気を今に伝えており、オスマン帝国の起源を探る上で貴重な証拠となっています。
これらの地域は、オスマン帝国の文化的、建築的、社会的発展の初期段階を示す重要な遺産であり、帝国の起源と成長を理解する上で欠かせない観光地となっています。
古代都市の遺跡が広がる「クサントス-レトーン」
クサントス-レトーンは、トルコ南部に位置する古代リュキア文明の重要な遺跡群で、1988年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。クサントスは古代リュキアの首都として栄え、ストラボンによってリュキア最大の都市と記されています。一方、レトーンはクサントスの港町として機能し、両都市は古代世界の七不思議の一つに数えられるほどの文化的影響力を持っていました。これらの遺跡群には、古代ギリシャやローマの影響を受けた建築物が多く残されており、パタラ、プナラ、ミュラなど他のリュキアの主要都市にも直接的な影響を与えました。特に注目すべきは、岩窟墓や柱状墓などの独特な墓制で、リュキア文明の特徴的な文化を今に伝えています。現在、クサントス-レトーンはトルコの人気観光地の一つとなっており、古代文明の栄華を体感できる貴重な遺跡として多くの訪問者を魅了し続けています。